男色エンタメ紀行
京都を拠点に活動してきた現代アートのパフォーマンス集団〈ダムタイプ〉のメンバーだった古橋悌二。彼は1995年10月、京都の病院でエイズによる敗血症で亡くなる。35歳だった。
その彼の、57歳の誕生日パーティ(?!)が去る7月13・14日の二日間、京都川端丸太町のクラブメトロで開催されました。
前回はセクシュアリティと真っ向から取り組んだ《S/N》という作品を紹介したが、今回のパーティでは《S/N》の一つ前の作品《pH》が取り上げられ、ビデオ化された作品の上映会がパーティの前半。後半はその《pH》の3人の女性パフォーマーが結成したパフォーマンス集団〈OKガールズ〉のショウがメインの構成。
《pH》は1991年、スペインのグラナダ・フェスティバルで海外初演された作品で、ダムタイプが国際的な名声を獲得した記念碑的作品。ハチャメチャな《S/N》とは対照的に、メランコリックな雰囲気のなかで消費社会の極まった姿と戦争との抜き差しならない関係が身体表現とビジュアル表現と音楽だけで演じられる。今回久しぶりに《pH》ビデオバージョンを見て、消費と戦争の抜き差しならない関係は26年の月日を経てますます〈抜き差しならない〉ものになっていることを実感しました。
さて後半は〈OKガールズ〉のパフォーマンス。〈OKガールズ〉が結成されたのは、グラナダ公演のあとマドリッドのゲイクラブ(確か地下鉄チュエカ駅近くの〈BLACK & WHITE〉っていうお店)で古橋悌二と三人娘がドラッグクイーンのショウを急遽やることになったときのこと。スーパーのワゴンサービスで衣装を物色していた三人が見つけたのが、〈OK〉と大書されたワンピースの水着だったから、ユニットの名前は自然と〈OKガールズ〉となる。当時のマドリッドにはグロリアス(古橋のドラッグクイーン名)の向こうを張れるようなクイーンはいなかったらしく(バルセロナにはパヴロフスキーというアルゼンチン出身の強力なクイーンがいた)、グロリアスのショウを見た映画監督のペドロ・アルモドバルは即座に「オレの映画に出てくれないか」と提案。古橋は予定が合わないとアッサリ断ったらしい。確かにエグさと心温まる情愛を同時に振りまくグロリアスの芸風はアルモドバルのそれとピタリ重なるから、出演が実現していたらさぞかし……と思わないでもない。
さて、マドリッドデビューのあと、OKガールズは順調に(?)キャリアを積み、数年に一回くらい、期待を決して裏切らないショウを見せてくれた。彼女たちのショウ(それともパフォーマンスというべきか?)は至極まっとうなメッセージらしきものをアヴァンギャルドな装いと破壊的な身体表現とすっとぼけた雰囲気で包み込んだ、まったく類のないもので、今回のショウも、ブタの仮面をかぶった三人があやとりを入れ子状にやってみせるという、「よくわかんないけど、なにかとっても大事なことを言われてるような気がする」ものでした。これを読んでる皆さんはどう解釈されますでしょうか?写真をヒントに考えてみてくださいませ。
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