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南界堂通信〈秋号|第28号〉

エイズ対策のキーパーソンたち

ケアカスケイドが届かない人たちに向けて/松下修三 先生(第33回日本エイズ学会 学会長)

もうすぐ熊本で開催される日本エイズ学会の
学会長を務めておられる松下修三先生に突撃インタビュー!

MASH大阪(以下M):先生は熊本大学ヒトレトロウイルス学共同研究センターでHIV基礎研究に携わる傍ら、日本エイズ学会理事長、国際エイズ学会運営評議員、もうすぐ熊本で開催される第33回日本エイズ学会の学会長など要職を兼務されていますが、先生がHIVの研究にかかわるようになったきっかけはどこにあったのでしょうか?

松下:一言でいうと満屋裕明(みつや・ひろあき)先生の影響ですね(笑)。私は熊本大学医学部を1981年に卒業し、大学院に進学。その満屋先生のお世話で83年に米国国立衛生研究所に研究留学しました。当時、レトロウイルスが引き起こす成人T細胞白血病を研究していたのですが、米国ではエイズの問題が大きくなり、研究室の主任教授だったブローダー博士の意向もあり、「HIVの研究」へとシフトしました。83年といえば、HIVが発見された年です。発見者がフランス・パストゥール研究所のモンタニエ博士かそれとも米国のギャロ博士かという論争もありました。当時、ギャロ博士の研究グループと共同研究の実績もあり、満屋先生が作成されたT細胞株の中にウイルス感染ですぐに死滅する細胞が見つかりました。この発見によって抗ウイルス薬の開発が可能となり、私も中和抗体の研究に進んだというわけです。

M:留学されたのが丁度HIV発見の時期と重なっていたわけですね?

松下:そうです。ある意味、運命的な出会いだったのかもしれません。満屋先生はその後も米国国立衛生研究所で研究を続けられ、世界に先駆けて抗HIV薬(AZT)を開発することになります。

M:今のお話は、昨年大阪で開かれた日本エイズ学会の学会長を務められた国立大阪医療センターの白阪先生のお話と共通するところ大ですね。白阪先生も満屋先生の影響でHIVに方向転換されています。

松下:そうそう。白阪先生が米国国立衛生研究所に行かれたのは80年代後半ですので、満屋先生に人生を狂わされた人間としては私が第1号かな(笑)。

M:帰国されてからも研究一筋?

松下:いえ、研究と臨床の両方をやりました。86年に帰国しましたが、87年にはAZTが使われるようになりました。病院では血液内科に所属し、初めのうちは血友病患者でHIVに感染した患者さんを診ていました。しばらくすると、血友病ではない一般の感染者も診ることになりました。

M:それから30年、HIV診療はめざましい進歩を遂げるわけですが、先生の目からみて、現状におけるHIV診療の課題は何でしょうか?

松下HIV診療は良好に進んでいるのに、新規感染が減っていないことですね。しばらく前、UNAIDS(※)がエイズ対策の到達目標としてケアカスケイドと呼ばれる基準を提示したのですが、これは実際に感染している人の90%が検査を受けてHIV感染と診断され、そのうちの90%が治療につながり、そのうち90%が治療の結果ウイルス量が検出限界以下になればHIV・エイズは克服できるというものです。
さて、日本の現状は、さきほど言ったように、新規感染が減っていない。これを解決するには、90-90-90のガイドライン達成に満足するのではなく、新規感染をなるべく減らすこと。そのためにはプレップ(HIV感染の不安を強く持っている人が予防のために抗HIV薬を恒常的に服用するプログラム)が効果的と考えています。

松下修三先生

M:もうすぐ始まるエイズ学会で取り上げたいテーマは何でしょうか?

松下:基礎研究の分野では「HIVはなぜ体内にとどまるのか?」というテーマに取り組みたいと思っています。予防の分野ではロンドンで行われているプレップのプログラムを紹介し、日本への導入に向けて議論したいと思っています。

M:貴重なお話をありがとうございました。

(※)UNAIDS:国際連合エイズ合同計画

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