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南界堂通信〈秋号|第28号〉

知られざる偉人伝

江戸期の男色文学からひとつ選ぶとすれば…
上田秋成の「菊花のちぎり

上田 秋成(作家/1734-1809)

前回ご紹介したゲイリー・リュープさんによれば、江戸時代の男色は男同士の忠義や保護・被保護の絆によって結ばれた二人の関係に性愛が含まれていたわけだけれど、井原西鶴の『好色一代男』や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』を読んでも、そこに男同士の忠義なんてものはあまり感じられない。主な登場人物が武士ではなく町人だということもあるのだろうが、彼らの人生観、人間観はとても現世的でシニカルだ。ところが十八世紀後半に発表された上田秋成の短編集『雨月物語』に収められた「菊花の約」を読むと、二人の中年の武士のあいだに交わされた「忠義に基づく約束」が物語の軸になっていて、「ああ、こういうロマンティックな世界もちゃんとあったのね」と思わされてなんだか妙に安心しちゃうのだ。

ときは文明十八年(1486年)の桜の季節。舞台は播磨の国加古の宿、今でいうと加古川市のあたり。主人公は年老いた母親と同居し学問に専念する清貧の武士、丈部左門(はせべ・さもん)。あるとき彼は、旅の途中で疫病に倒れた武士、赤穴宗右衛門(あかな・そうえもん)を心をこめて看病し、快方へ導く。宗右衛門が左門の家に逗留しているあいだ、二人のあいだには無二の友情が芽生え、ついに義兄弟の契りを交わす。しかし宗右衛門には故郷で果たすべき重大な任務があり、初夏のある日、出雲の国に向けて旅立つ。「兄上はいつごろお帰りか」と問う左門に宗右衛門は「この秋には必ず戻り、恩返しをいたします」と答え、九月九日の重陽の節句をその日と決める。左門は「兄上、この日をまちがわないでください。当日、私は、一枝の菊と気持ちだけの粗酒を用意してお待ち申し上げております」と言って送り出す。

これがタイトルにある「菊花の約」ね。この約束がどういうかたちで果たされるか、というのがこの短編のキモなのだけれど、ネタバレになっちゃうので、あとは自分で読んでくださいませ(笑)。文庫本で手に入ります(筆者が参考にしたのは角川ソフィア文庫。現代語訳が付いてます)。でもこんな風にあらすじを紹介しても「これのどこが男色文学なの?」って声が聞こえてきそう。じっさい、左門と宗右衛門とは忠義で結ばれた「義兄弟」とあらわされるし、二人の濡れ場らしきものが描かれているわけでもない。それでもなお、この作品が男色文学だと言えるのはなぜなんだろう?

鍵のひとつは「菊花」ね。上田秋成とほぼ同時代の伊藤若冲の作品に『菊花流水図』というのがあって、絢爛と咲き誇る菊の花を一羽の鳥が下から見上げている図なのだけれど、これが男色を暗示しているという説がある。つまり菊の花はアナルとアナルセックスの象徴なわけですね。これに宗右衛門の名字が「赤穴」だということを考え合わせると、二人の関係に男色が含まれていたことは、当時の読者にとっては言わずもがなのことだったのでしょう。

でもそんな暗示とか象徴とかを持ち出すまでもなく、上田秋成が描いた二人の関係は美しい友情にとどまらない、何か尋常ならざるもの、そう、ロマンティックとしか言いようのない、唯一無二なものとして描かれている。そして二人のあいだにどんな肉体の関係がありえたのか、読者は勝手気ままに想像をめぐらすことができる。清貧の武士二人がどんな愛を交わしていたかをいくらでも想像させてくれるなんて、これこそ唯一無二の文学ではないでしょうか?

伊藤若冲「菊花流水図」
伊藤若冲「菊花流水図」
鬼塚哲郎

あと数年で定年を迎える大学教員。京都に住みつつもいろんな用事にかこつけて大阪に足繁く通ってます。京都の錦市場生まれの若冲、大坂・曽根崎生まれの秋成はほぼ同時代人。元祖オタクな若冲と毒舌で知られた秋成がどんな出会いをしたのか、想像するだけでワクワクします。

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