community center dista

ニュースペーパーNEWSPAPER

南界堂通信〈春号|第30号〉

知られざる偉人伝

元祖BL作家 山岸凉子の、
BLを超えた『日出処ひいづるところ天子てんし
山岸凉子(漫画家/1947-)
山岸凉子(漫画家/1947-)

初めて『日出処の天子』を読んだとき、文学も含めて、主人公たちの苦悩をこれほどまでに生々しく描き出した作品があっただろうかと感じた。少女漫画に詳しい友人にそのことを話したところ、「いや、この作品は日本のドストエフスキーだよ」って言われて納得したことを思い出した。今回読み返してもその印象は変わらない。「嗚呼、やっと終わってくれた......」。これが、全巻読み通して、頁の端に「完」の一字を見つけたときの率直な感想ね。次に読むのは10年後かしら(生きてるのかしら)......。

厩戸皇子(のちの聖徳太子)が同性愛者だったという大胆極まりない設定なんだけれど、超能力者でもあるから、話が人間界の枠に収まらず、魑魅魍魎の跋扈する、アッと驚く世界が展開する。もう一人の主人公、蘇我毛人(えみし)はまっすぐな性格のノンケ青年だけど、厩戸とチャネリングできたときだけ連れだって異界に行ける、そんな不思議な力を持つ。しかし毛人はとある高貴な姫君に一目惚れし、その姫と添い遂げることが自分の運命だと考えるに至る。これを阻止しようとする厩戸。この二人が終盤近くで対決する場面は圧倒的な力で読者をなぎ倒す。

日出処の天子

考えてみると、なぎ倒されるような感動をもたらすのは、男同士の愛の悲劇だからというより、支配と自立とのあいだで揺れ動く二人の魂が血を流しながら格闘するさまを存分に描き出しているからだ。厩戸は、自分の超能力を受け入れてくれる唯一の存在である毛人に身も世もなく惹かれている。毛人は毛人で、超能力ゆえに絶対的な孤独の世界に生きる厩戸に深い共感を寄せながらも、姫君との愛を成就することで厩戸の呪縛から抜け出そうとする。読者はそれぞれに感情移入しつつ、二つの物語―厩戸の悲恋の物語と毛人の葛藤と自立の物語―を同時に生きることになるわけだ。しかし作者は、二つの物語のいずれかに読者が肩入れすることを許さない。或るときは厩戸の切ない情に、また或るときは毛人の葛藤に共感せざるを得ない、そういう風にこの作品はつくられている。

とここまで書いてきて「待てよ」という声が胸をよぎる。もう一人の自分がいう、「これだとまるで物語や小説について語っているみたいだけど、これ漫画でしょ?漫画なら漫画として語らなきゃねっ」。おっしゃる通りですね。物語や小説のキモが、読者が文字記号をイメージに転換するところにあるとすれば、漫画のキモは、コマ割りされた場面を読者の意識がつないでいくというか、場面と場面とのあいだに時間を読み込んでいく、そういうところにあるのではないか。この、時間を読み込んでいくという作業はアニメにも映画にもない、漫画特有のものだとはいえないだろうか。アニメも映画も、観客は登場人物と同じ時間を生きる。しかし漫画は違うのだ。

もしそうだとしたら、山岸凉子の奇才・異才・天才振りは、その冴えを存分に見せつける。『日出処...』の前に山岸先生は『アラベスク』という長編バレエ漫画の傑作を発表している。これはロシアバレエの世界で生きていくノンナ・ペトロワの成長の物語なんだけれど、バレエの専門家から見ても、山岸の描くバレリーナの手足の振りは完璧なんだそう。それに比べると、『日出処...』ではコマ割りの大胆さ、コントラストの激しさ、そして線描の繊細さが際立つ。『アラベスク』とはまったく違う日本画の世界が繰り広げられているのだ。

日出処の天子

と、ここまで書いてきて思い出しました。『日出処...』が出版されてまもなく、毎日新聞奈良支局の記者が「法隆寺が山岸の漫画にカンカンに怒っている」という趣旨の記事を捏造する、という事件がおきた。1984年のことね。その記者さん、「聖徳太子は同性愛者だった」という物語の設定がよほど我慢ならなかったのでしょうね。でもその記者さんはきっと、毛人の葛藤と自立の物語、繊細極まりない日本画的漫画の魅力は見落としていたんでしょうネ。

鬼塚哲郎

あと少しで定年を迎える大学教員。聖徳太子といえば法隆寺。この機会にと、再訪しました。ウーム、梅原猛が唱えた、「法隆寺は聖徳太子の霊を封じ込めるために建立された」説、リアリティありと感じました。あの、境内全体に何かしら霊気がみなぎっている感じ、山岸凉子先生もきっと同じ想いだったのでは。でもそれは気高く、爽やかな霊気なのですね。そこは『日出処...』に描かれた厩戸皇子とは少し違うのかも。因みに、BLの最初の作品は山岸先生が1972年に発表した『ゲッシングゲーム』らしい。これは未読ですけれど『日出処...』は全巻distaに揃っています。読んでね。

過去の南界堂通信

2023年度
2022年度
2021年度
2020年度
2019年度
2018年度
2017年度
2016年度
2015年度
2014年度
2013年度
2012年度

過去のいくナビ

2022年度
2021年度
2020年度
2019年度
2018年度
2017年度
2016年度
2015年度
PAGE TOP