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南界堂通信 秋号|第49号

知られざる偉人伝

座って楽しむレヴューショウと踊って楽しむクラブパーティ[前編]

~ DIAMONDS ARE FOREVERは、どこでどうやってうまれたのか? ~
シモーヌ深雪

前号では、〈ダムタイプ〉の音楽担当だったララ(山中透)に古橋悌二との交友を語っていただきました。
そこでは語り切れなかった全く新しいクラブパーティの創造について、ララや古橋と共同でDIAMONDS ARE FOREVERを立ち上げたシモーヌ深雪(ふかゆき)にお話をうかがいました。

MASH大阪(以下M):ララや古橋悌二とはどこで出会ったの?

シモーヌ(以下S):1980年代の前半、私は〈トニー・デュヴェール〉、ララと古橋悌二は〈R-STILL〉というバンドを組んでいて、お互いのライヴギグで知り合いました。その後、森の宮の青少年会館で友達と始めた〈象牙海岸〉の公演を観に来てくれたのをきっかけに、二人と交流するように。1988年、同じく〈象牙海岸〉がエントリーした丸ビルの野外広場での演劇コンクールを境に、ララとは音楽&映画仲間として、古橋とはゲイ友達として親睦を深めていきました。丸ビルでの公演はゲイキャンプをベースにしたポップでキッチュなミュージカルスタイル。その様式を受け継ぎ、私は同年の暮れ、奇抜な衣装とエキセントリックな演出を売りにした、男女混合のショウユニット〈上海ラブシアター〉を立ちあげました。その頃二人はN.Y.のピラミッドのようなクラブパーティを企画していて、パフォーマーたち(ドラァグクイーンに近いもの)を探していました。〈上海ラブシアター〉の存在が、2人とより密接な関係を作る土台となったことは確かですね。

M:シモーヌを含むメンバーたちの思惑とも一致した?

S:私たちがやっていたのは、観客が座ってショウを観て楽しむというスタイル。でも客層はミックスだしショウタイムが複数回あるところは全く同じ。それ以外は常にダンサーやフロアホストでいるというクラブパーティの構想自体が斬新で面白く、断る理由がありませんでした。

M:京都の現代アート界の人たちと関西インディーズ界隈の人たちが、キャンプ風味でミックスのクラブパーティという枠組みで合流したってことになるのかな?ハコはどうやって見つけたの?

S:ハコ探しはグロリアスがやってました。丸一年くらい。結局、堂山パークアベニューの真ん中にある空き地に〈ピエロ〉という期間限定のクラブが出来ることになり、そこで〈ダイアモンズ・アー・フォーエバー〉がスタートすることとなりました。1989年末のことです。

M:今思うと、すごい節目の年でしたね。

S:かなり大袈裟に言えばだけど、アートとサブカルチャーが融合した新しい文化的クラブパーティが生まれた年だった、と言えなくはないかも。ハイカルチャーとサブカルチャーの二つの文化が衝突せずに融合できたのは、双方に共通する文化的背景があったからだと思います。

M:共通する文化的背景とは?

S:ララもグロリアスも私も、1970年代に多感な思春期を過ごし、1980年代に青春期を迎えて遊んでいた。1980年代といえば、東京発の西武・パルコ文化が地方にも浸透し、タウン情報誌やフリーペーパーが活況を呈していた頃で、そうしたメディアを通して海外のサブカルチャーやクィアカルチャーの情報が押し寄せる日々でした。モード系だと〈流行通信〉、音楽系だと〈フールズメイト〉、ゲイ雑誌だと〈MULM〉がお気に入りでしたね。やがて、英国からニューロマンティックと呼ばれる音楽ムーヴメントが到来。少しして、ポジティヴパンク・ノイズ・インダストリアル・ネオアコ・エレポップなど多岐に渡るジャンルを包括したニューウェーヴが来襲します。ニューウェーヴはサブカルチャー全般にも影響を及ぼしていきましたが…。

M:ニューウェーブのアーティストで最も影響を受けたのは?

S:ソフトセルとキュアー、ニナ・ハーゲン…とか?ニューウェーヴに共通して言えるのは、ジャンル、ジェンダーやセクシュアリティの垣根にこだわらず、提示されたものをフラットに素直に楽しむという姿勢。そうした文化の空気を吸いながら、ララもグロリアスも私も、そして私たちを取り巻く友人や知人たちも育っていったということです。

M:なるほど、共通した文化的背景の土壌があった、というわけですね?

S:ええ、そうです。パフォーマーやアーティストとしての方向性はそれぞれ異なるけれど、いかにもな男性目線のストレートな文化とは一線を画す、今でいうところのクィアカルチャーの側にいるんだという強烈な意識の共有が〈ダイアモンズ・アー・フォーエバー〉というパーティーを造るための信頼関係を生み出した、そんな気がします。

M:興味深いお話、どうもありがとうございました。次号もよろしくお願いします。

トニー デュヴェールのパフォーマンスライヴ @ 大阪難波メディアスタジオ (1984)

シモーヌ深雪
(SIMONE FUKAYUKI:シャンソン歌手/DragQueen)

1980年代初頭から関西のインディーズシーンに於いて活動を開始。全国のライブハウスやクラブ、劇場などでパフォーマンスを展開する。怪奇と官能をこよなく愛し、「愛の不毛あるいはエログロナンセンス」が座右の銘。日本のアンダーグラウンドを代表するパフォーマーのひとり。レギュラーイベント:「DIAMONDS ARE FOREVER」「CAMP -midnight movies-」「宝塚パリ祭」「Surf 632」など。