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南界堂通信 夏号|第47号

知られざる偉人伝

〈S/N〉の誕生~
古橋悌二の遺したものその3

古橋 悌二
(1960-1995)

LGBTQアートの金字塔と呼ばれるダムタイプの〈S/N〉。
その〈S/N〉の記録動画に衝撃を受け、上映会を京都で毎年開催
している菅野優香さんにお話をうかがいました。

はじめまして、菅野優香と申します。
京都の大学で映画などの視覚表現とクィア・スタディーズの研究・教育に携わっています。出身は岩手県。小さい頃、父親の親友に映画館の経営者がいて、よく1人で観に行っていました。東映系の館でしたから、今よく観る映画とはずいぶん違いますけど(笑)、楽しかった。これが映画の原体験かもしれません。大学進学で上京したのが、丁度バブルがはじけ、小規模な映画館が林立した時代でした。ただ、映画を浴びるように見つつも、異性愛を描く作品の多さに辟易していました。「映画の中に自分の居場所はないのだろうか」と思い悩むうちに、ミニシアターでクィア系の作品が次々に掛かるようになり、「いや、これは面白い!」と。本格的に勉強したいなと思うようになりました。
大学では、フランスの映画理論や批評を学んでいましたが、当時面白いと思ったクィア系作品の多くは圧倒的に英語圏で作られていた。そこで、英語圏の映画をジェンダー・セクシュアリティの視点から分析する研究にシフトすることに。
〈S/N〉に出会ったのもこの頃です。上映会で観たのですが、1つのシーンにものすごい衝撃を受けた。導入部の終わりで、パフォーマーの1人が「悌ちゃん(古橋のこと)はゲイでHIV陽性者、アレックスはゲイで障害者、僕はゲイで黒人」と言ったあと「で、あなたは?」と問いかける場面です。「で、あなたは?」という何気ない言葉にグサッときた。なぜかというと、確かに私は大好きな映画を研究していたけれど、その研究に取り組む姿勢が未だ固まらない状態だった。そこを突かれた気がしたのだと思います。
2000年代前半から7年間、カリフォルニアの大学の博士課程に在籍し、ビジュアル・スタディーズを専攻しました。映画と美術を「視覚」作品として一続きのものと考えて研究する、そんな新しい学問。とても刺激的でしたが、同時にクィア理論を学んだことがとても大きかった。ジェニファー(ジェニー)・テリーという米国の同性愛の病理化や性科学言説を文化・社会史的に読み解く研究をしていた先生のもとで、かけがえのない学びを得ました。学者としても人間としても、本当に尊敬できる人でした。
ジェニーをはじめ多くの女性教員がレズビアンやクィアでしたが、彼女たちからは「私たちは生き残った世代」という言葉を何度も聞きました。80年代、90年代に、研究者を含む本当にたくさんの友人たちがエイズで亡くなってしまった、だから彼らが生きていたらクィア理論はちがったものになっていたかもしれないと。エイズという病がクィア・スタディーズの歴史に深い影を落としていること、そして、ゲイとレズビアンの人々のあいだに深い連帯と協働の歴史があったこともその時はっきりと自覚しました。
帰国してから北海道で大学教員をしていましたが、京都の大学でクィア・スタディーズ分野の公募があって迷わず応募しました。
80~90年代の京都のクィア文化にも関心があったので、移れたときはとても嬉しかった。早速、その年に米国のエイズ・アクティビズム団体ACT UPのドキュメンタリー映画『怒りに力を』を日本各地で上映するプロジェクトに関わり、〈S/N〉の出演者で前号のこのコラムに登場したブブ・ド・ラ・マドレーヌさんと出会いました。ブブさんが当時の京都の様子について本当に色々教えてくれた。感謝しています。そうこうしているうちに、女性の視点から〈S/N〉を見直そうという話になり、ブブさん、堀あきこさんと一緒に「ガールズ・アクティヴィズム」という上映イベントを開催しました。その後、スタンフォード大学京都プログラムでクィア・カルチャーに関するクラスを担当することになり、〈S/N〉の上映会を組み込むことを思いつきました。以降、毎年11月頃に上映会を開催しています。
古橋さんやダムタイプについてですが、私の関心は古橋さん個人というより、彼のもつ求心力が可能にした人間関係や出来事の連らなりにあります。〈S/N〉という作品の強度は、個人のカリスマや才能だけに還元されるものではなく、90年代京都のクィア文化を支えた関係性の網の目に源泉があるのではないかと感じるからです。その点を明らかにすることと、女性の視点から〈S/N〉を再考することに今後取り組んでみたいと思っています。

同志社大学大学院教授
菅野優香

カリフォルニア大学アーヴァイン校で博士号(視覚研究)取得。
専門分野は、映画・視覚文化研究、クィア・スタディーズ。
映像におけるジェンダーやセクシュアリティ、人種の問題に関心を
寄せ、クィア・シネマやLGBTQ映画祭をテーマに、映像とアクティ
ビズム、コミュニティの生成などの問題に取り組む。
著書に『クィア・シネマ——世界と時間に別の仕方で存在するため
に』(フィルムアート社、2023年)、『クィア・シネマ・スタディーズ』
(編著、晃洋書房、2021年)、共著にRoutledge Handbook of
Japanese Cinema (2021)、The Japanese Cinema Book
(2020)、『クィア・スタディーズをひらく』晃洋書房 (2020)、
『ジェンダーと生政治(戦後日本を読みかえる)』(2019)、
『川島雄三は二度生まれる』(2018)など。