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南界堂通信 秋号|第48号

海外男街通信

遠くを見ることが半径5メートルにいる人たちとのつながりに活きてくる[前編]

反同性愛の法や迫害があるアフリカのウガンダやケニアで、
LGBT難民のサポートをされているFHIジャパン代表の
植田祐介(うえだ・ゆうすけ)さんに突撃インタビュー!

MASH大阪(以下M):ご出身は?

植田祐介(以下、植):大阪です。20歳頃まで大阪に居て、その後は韓国に渡って学校に通ったり働いたりしてました。10年程住んだ時、知人の仕事を手伝いに東京に行って、そこからは東京住まいです。日本に帰ろうって決めていたわけではなく、最初は3週間くらいの予定でしたが、仕事含めて生活が安定したからそのまま東京暮らしです。

M:韓国にいた頃はゲイタウンでブイブイ…?

:いや、それが大阪にいた時も堂山にはそれほど行ってませんでした。韓国ではゲイクラブでのイベントや普段はゲイクラブではないクラブでもLGBTのイベントがあるので、そうした所に遊びに行ってました。バー自体があまり得意でなくて。

M:ゆうすけさんは、韓国のゲイコーラスグループの姿を捉えたドキュメンタリー映画『ウィークエンズ』の字幕翻訳や、韓国のパレードの現地からの情報発信で日韓のLGBTコミュニティを文化面を通じてつなげてくださった印象があります。どんなきっかけでグローバルな活動を?

:2013年頃かな?ソウルの知り合いからパレードが危ないって連絡があって。行ったら宗教右派からの妨害が凄まじくて。でもその背景を調べていくと韓国内だけでなく、アメリカの原理主義的キリスト教右派のアンチLGBT活動にもつながっていくんです。宗教右派のアンチLGBT活動は規模も大きくて国際的です。だからその流れはアフリカのケニアやウガンダでの迫害にもつながっているし、他の排除の問題、例えばパレスチナの植民地化問題にもつながっています。歴史的にも長く、また国際的という意味で広さもある問題なんですね。こうした情報は英語だと沢山あるんですが、日本語だとなかなかない。

M:アフリカでのサポートのきっかけは?

:コロナ禍前の東京レインボープライドでのイベントの一環として行われた、カクマ難民キャンプのLGBT難民の支援活動をしている嶋田聡美さんの講演を聞いてこの問題を知りました。現地の当事者からの相談があって、周囲の難民や外国籍移住者のサポート団体に協力をしてもらったり、自分でもクラウドファンディングを立ち上げたりして、活動してきました。

UNHCRの視察

M:アフリカでは反LGBTの傾向が強いのでしょうか?

:アフリカは国が多いのもあって、LGBTに対しても施策は様々です。同性婚がオッケーの国(南アフリカ)もあれば、ウガンダのように反同性愛の法律があり、精神的にも物理的にも迫害を受け隣国ケニアで難民化しているという場合もあります。海外の宗教右派から影響をうけている場合もありますし、自分たちの土地を植民地にしてきた西洋諸国への反植民地主義としての抵抗と結びついている背景もあります。

スラムの掘っ立て小屋に住むゲイの難民

親族から命を狙われホームレスとなり 結核になってしまったオマルさん

M:因みにゲイタウンのことでご存じのことがあれば…

:いわゆるゲイタウンというのは無かったのですが、バーが多い所にゲイバー的なお店があったりはしました。

M:ゆうすけさんが提供されているサポートとは?

:自分の役割は主に資金作りと広報です。難民と言っても彼らはとても自立したい気持ちが強く、自分たちの手で暮らしを作っていきたい。だからレストランを作り経営をし、そこで使うための農作物も自分たちで作るといった企画が現地で立ち上がりました。これがFHI(Freedom House Initiative)
です。そうした企画をサポートするため、シェルターやお店の運営のための資金をクラウドファンディングで集め、送っています。こちらがFHIジャパンの活動です(目下、ウェブサイトを準備中)。

もうひとつ、彼らを取り巻く環境を伝える上で重要な点は、医療へのアクセスも難しいということがあります。反同性愛の法律がある為にどの医療施設がLGBTの人達にとって安全なのかがわからない。差別はHIVの治療へのアクセスも困難にさせます。成立はしませんでしたがLGBTの患者がいるとわかった病院には通報を課す案もあった程です。そんな状況なので医療のサポートも出来る限りしています。

M:なるほど、反同性愛法的な法律があるところでは、LGBTの人たちの人権が脅かされ、医療へのアクセスに困難を抱えている人たち、難民生活を余儀なくされている人たちがおられることが理解できました。次回もこのコラムでさらに詳しいお話を聴かせていただきます。ありがとうございました。

植田祐介

1974年大阪生まれ、韓国に留学し帰国後に韓国語翻訳者として活動、FHIジャパン代表