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南界堂通信〈秋号|第20号〉

知られざる偉人伝

独裁と闘い、
エイズと闘ったキューバの作家(2)

〜米国ではゲイにしか出会えない!

レイナルド・アレナス
(小説家・詩人/1943-1990)

レイナルド・アレナス(小説家・詩人/1943-1990)

1980年、革命から20年経ち、全体主義的な政策を次々に打ち出すカストロ政権に対するキューバ国民の不満は頂点に達しようとしていた。そんな折も折、「ペルー大使館事件」が持ち上がる。当時、なんとかして国外脱出しようと考えたキューバ人が、国際法上は治外法権を有する各国の大使館に駆け込む事件が頻発。在ハバナのペルー大使館は人道的見地から門戸を開くと宣言したからたまらない。大勢のキューバ人が怒涛のように押し寄せ、その数はなんと一万人以上にのぼったのである。

さしものカストロもこれにはうろたえたらしい。まもなくして、「キューバを去りたい者は、マリエル港から出ていくがよい」と宣言。数か月のあいだに、ペルー大使館流入者を含めざっと二十万のキューバ国民がマイアミに向けて出港。マイアミにはすでに亡命を果たしたキューバ人コミュニティがあり、彼らが夥しい数の船を提供したのだった。そして指名手配中だったアレナスは「マリエルの大脱走」を利用してからくも出国を果たし、マイアミの土を踏む。

難民として米国に入国し、ようやく自由を手に入れたかにみえたアレナスだったが、失ったものも大きかった。十年後、死の直前まで書き続けた自伝『夜になるまえに』のなかで彼は、「思えば、いったん祖国を捨てた者に決して平安は訪れないのだ」と語り、外国で暮らすことがもたらす寄る辺なさを強調している。自伝の別の頁では、「米国のゲイライフはつまらない。どこに行ってもホモにしか出会えないからね。キューバにいたころは、普段はノンケで通してる逞しい男たちが、女だけでは満足できないといわんばかりにホモと寝る」と語り、「それがどんなに素晴らしいことか分かるかい?だってホンモノの男と出会えるんだよ」と言う。まるで米国のゲイは男のマガイモノだといわんばかりだ。また別の箇所では「一度友人と一緒に数えてみたら、キューバで5千人の男とまぐわった計算になったよ」とうそぶく。「ゲイ」や「性的少数者」などのアイデンティティを基盤にして人々の行動が形作られる米国に比べ、キューバでは「ゲイ」と「ノンケ」の境目は限りなく曖昧なのだ。

夜になるまえに

しかしそのキューバにアレナスの居場所はなかった。彼はこう語る。「フィデル・カストロが演説で、男たるものどんな服を着るべきか語った。同じ理屈で、髪を伸ばし、ギターをかき鳴らしながら街をゆく若者をけしからんと言う。独裁は純潔を重んじ、活き活きとした生を嫌う。生きることの素晴らしさを見せつける行為はすべて政権の敵となる。だからわれわれがカストロから迫害されるのも無理はない。われわれがまぐわうのを禁じることで、生きることの素晴らしさを見せつけるあらゆる行為を抹殺しようとするのだから」

『夜になるまえに』の随所にあらわれるこうした発言は、さまざまな批判にさらされてきた。カストロらによるキューバ革命を希望の光と見るラテンアメリカの左翼陣営にとって、アレナスのカストロ批判は危険極まりない反革命的言説と見られたし、先述の「米国ではホンモノの男と出会えない」発言は、同性愛を異性愛の枠組みに閉じ込める、反動的なものと解釈されたりもした。その後、アレナスの発言は「異性愛こそ正常な人間の在り方である」という抑圧的なイデオロギーに対する痛烈なアンチテーゼだとする見方も登場している。

米国に亡命したアレナスは間もなくHIVに感染し、数年後にエイズを発病、米国の土を踏んでわずか十年後、「エイズに屈服しないため」自死を選ぶ。はた目からみると「悲劇的な人生」だけれど、彼の自伝『夜になるまえに』から伝わってくるのはむしろ明るく不屈の魂の記録、といったニュアンスのものだ。そんな彼が75年、ハバナのモーロ要塞の監獄で過ごしたときに書いた詩の一篇を紹介して、この稿を閉じることにしよう。詩のタイトルは「意思表明をしながら生きる」:―いまぼくを食いあらしている。/いま上がって、ぼくの爪を引っぱっているのがわかる。/金玉まで痛めつけているのが聞こえてくる。/土を、ぼくに土をかける。/踊る、踊る、/ぼくをおおう/この土と石の山の上で。/ぼくを押しつぶし、ののしる。/ぼくと関わるなんだか常軌を逸した決定を復唱しながら。/ぼくを葬った。/ぼくの上で踊った。/たっぷり地ならしした。/行ってしまった、行ってしまった、ぼくを死んだもの、葬られたものとして。/いまこそぼくにはチャンス」(安藤哲行訳)

鬼塚哲郎

あと数年で定年を迎える大学教員。スペイン語圏の文学、芸能を偏愛。
アレナスが収容されていたモーロ要塞は今は観光地になっていて、細い湾をはさんで旧市街の対岸に位置するところから、ハバナの街を一望する絶好のロケーションとなっている。夕方に要塞を訪れて対岸に目をやると、暮れなずむ夕日に照らされたハバナ旧市街が途轍もない“懐かしさ”とともに迫ってきた。ほんの数日のあいだ滞在しただけの旅人にも懐かしい街と思わせるハバナ。とすれば、米国に亡命したアレナスはどんな“懐かしさ”でもってこの風景を想い出したことだろう……

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