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南界堂通信〈夏号|第23号〉

知られざる偉人伝

鷗外と漱石

性愛表現の分水嶺 その3
ホモフォビアを生み出す男同士の絆―

夏目漱石
(小説家、評論家、英文学者/1867-1916)

夏目漱石(小説家、評論家、英文学者/1867-1916)

前号の記事を読まれた方から次のような話をうかがった――「高校生のとき『こころ』の読書感想文を書く機会があって、「私」と「先生」のあいだには同性愛的な感情のやりとりが描かれている、という趣旨の文章を書いたところ、国語の先生たちから呼び出しを受け、こっぴどく叱られたんです。「オマエは文豪の作品を冒涜している」って――。

このエピソードは、国語の教師たちがホモフォビア(同性愛的なものを嫌悪したり忌避したりする感情)を深く内面化しているにもかかわらずそのことに気付かず、必死になって教え子にホモフォビアを植え付けようとしたことを物語っている。この、現代の日本社会でひろくみられるホモフォビアという病理はいつどこで生まれたのか。前号でみたように、森鷗外の著作にはホモフォビアらしきものはみられない。とすれば、漱石こそがイギリスからホモフォビアを日本の近代文学に持ち込んだ張本人なのか?

ホモフォビアを論じた研究で真っ先に挙げられるのが、米国の学者イヴ・セジウィックが一九八五年に著した『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望』である。

セジウィックはこの著作のなかで、一般的に男は男同士、女を交換しつつ男同士の絆を強めようとする欲望を持っている。男同士の絆を強めることは権力を維持したり新たに獲得することにつながる。この、同性の絆を強めたいという欲望を「ホモソーシャルな欲望」と呼ぶ。しかしこのホモソーシャルな欲望は、少なくとも西洋キリスト教社会においては、必ず強烈なホモフォビアを伴う。つまり、ホモソーシャルな欲望に同性愛的なものは含まれていない、という建前になっている。これがセジウィックの主張するホモソーシャルな欲望理論のエッセンスである。

「男は男同士、女を交換しつつ男同士の絆を強めようとする欲望を持っている」とは、たとえば、ある男が友人を自分の妹に紹介し、二人の仲を取り持つとしたら、それは妹を介してその友人との絆をより強いものにしたいという欲望を持つからである。男との絆は社会の中で彼が持ちうる権力を維持したり高めたりするのに有効だということを彼は無意識のうちに知っているのである。このように、社会はホモソーシャルな欲望という枠組みの中で動いているのであり、男女の恋愛や結婚もその枠組みを強化するもののひとつである。

この考え方を『こころ』に当てはめてみると、「先生」はホモソーシャルな欲望に動かされてKを家に招き入れるが、Kが「お嬢さん」への愛を「先生」に告白すると、Kから「お嬢さん」を奪い取る。当時のKはすでに社会的に挫折した存在であり、ホモソーシャルな欲望を充足させるようなものを何一つ持っていないと「先生」は判断したのかもしれない。しかし「先生」とのホモソーシャルな絆が唯一の希望であったKは、「先生」に裏切られたことに絶望し、自死を遂げる。Kの死の責任は自分にあると知っている「先生」もまた、自死を選ぶ……

このように「先生」とKの関係はホモソーシャルな欲望という切り口で説明することができるのだけれど、「先生」と「私」の関係はそうはいかない。セジウィックは前述の著作の中で、十九世紀のイギリスの小説家ディケンズの幾つかの作品の中で、ホモソーシャルな枠組みの中にホモセクシュアルな欲望があからさまでなく微妙なタッチで描きこまれているさまを鮮やかに分析しているが、ディケンズの描くホモセクシュアルな欲望(らしきもの)が病理や犯罪と結びつけられているのに対し、漱石の『こころ』にはそうしたホモフォビアは出てこない。漱石が導入したホモフォビアとは、「先生」と「私」とのあいだのホモセクシュアルな"こころ"の交流を、「先生」の自死によって断ち切ることで「語られないもの」にしてしまったところにあるのではないだろうか。以後、純文学の世界にホモセクシュアルな性愛は登場しにくいものとなったし、冒頭で触れた国語の先生方もその流れのなかでお育ちになったのでしょうね。

こころ(夏目漱石)
鬼塚哲郎

あと数年で定年を迎える大学教員。
スペイン語圏の文学、芸能を偏愛。強烈なホモフォビアに彩られているとはいえ、ディケンズはイギリス社会にゲイが存在することを隠しはしなかったけれど、スペイン語圏の小説家で最初に同性愛を描いたのは誰だろうと考えると、20世紀後半のアルゼンチンのマヌエル・プイグ(『蜘蛛女のキス』)なのかなぁ……そう考えてくると、ホモフォビアのかけらも感じられない文学がたくさんあった江戸時代(『東海道中膝栗毛』『雨月物語』……)はとってもステキな時代だった?!

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