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南界堂通信〈夏号|第27号〉

知られざる偉人伝

どんな権威にも寄りかからず─追悼、橋本 治─

橋本 治
(作家/1948-2019)

橋本 治(作家/1948-2019)

いやあ、びっくり仰天しました。1月の末、新聞の社会面の片隅から「作家の橋本治さん死去。肺炎で」という記事が飛び込んできたときのことです。まだ70歳。筆者と3つしか違わない。突然の早すぎる訃報に驚き、狼狽したのは私だけではないでしょう。

私にとっての橋本治は、小説『桃尻娘』の作者であり、膨大な数の、あらゆる分野にまたがるエッセイや評論の作者であり、『枕の草子』『源氏物語』『徒然草』『平家物語』などの古典の現代語訳者であり、卓抜な少女マンガ論『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』、ゲイの心理を容赦なく暴いた『蓮と刀』の著者でした。ウィキペディアで調べてみると小説・戯曲37冊、エッセイ・評論110冊、古典の現代語訳13冊、その他(共著など)30冊、合わせて200冊近い作品を発表しているし、その中には14巻におよぶ『窯変源氏物語』、7巻の『ひらがな日本美術史』や5巻本の『貧乏は正しい!』などが含まれるのです。まれにみる多作・多分野の作家でありました。

しかし橋本治の真骨頂はそれだけではありません。どんな題材を取り上げても、彼独特の、まるで女子高生や東京下町のアニキが語っているような独特の口語体を用いながら、現代の言文一致体を追及した作家でもあるのです。筆者の愛読書のひとつに『恋の花詞集』(ちくま文庫)というのがあって、明治から戦後60年代くらいまでの唱歌や流行歌を60数曲取り上げ、ひとつひとつの歌詞の解釈からエッセイが展開されるのだけれど、何を軸に話が展開するのかまったく予測がつかない。昭和27年の『リンゴ追分』は美空ひばりを軸に展開すると見せかけ、次の瞬間、話は追分節の歴史に飛び、リンゴが渡来したのは明治になってからだって話になり、島崎藤村の『若菜集』からリンゴの詩「初恋」が引用され、最後はリンゴも梅も桜も桃もゼーンブ薔薇科なんだけど、梅、桜、桃は実のイメージも花のイメージも定着してるのに新来のリンゴだけは花のイメージがない、だから戦後まもなく恋愛を夢見る青年たちは「リンゴの花ほころび…」(『カチューシャ』)って大声で歌って見知らぬ恋を見知らぬ花に託したのかもしれない…

64年の『東京ブルース』のところでは、この歌を戦後まもなく流行った『星の流れに』の姉妹編と位置付け、戦後のドサクサの只中で「町の灯影のさびしさよ こんな女に誰がした」と歌うパンパンの呪詛が、60年代になると「暗い灯影をさまよいながら女が鳴らす口笛は 恋の終わりの東京ブルース」とあらわされる。呪詛が口笛に変わり、そうやって60年代の女は呪詛するしかない女にケリをつける。70年代になると女性のシンガーソングライターたちがはっきり「こんな女でいたくない」と歌いはじめるわけだけど、橋本先生の文章はこんな風に「女の戦後史」らしき展開を見せることだってある。

80年代に出版された『蓮と刀』(河出文庫)ではゲイ雑誌の文通欄に寄せられた文章の背後にある心理をフロイトの精神分析を援用しつつエゲツナイまでに分析し、返す刀でフロイト自身をもエゲツナイまでに批判する。最近出た『国家を考えてみよう』(ちくまフリマー新書)では、古典文学の該博な知識を動員して日本のナショナリズムの流れを古代〜中世〜近世〜近代の移り変わりのなかに見事に描き出す。

ナショナリズムに取り組んだ学者さんはたくさんいるけど、江戸と明治の間に横たわる壁を軽々と飛び越えて論じる手つきは橋本先生ならではのもの。

ノンケのエライおじさんたちが何と向き合ってこなかったかを知り尽くした橋本先生だからこそ『桃尻娘』や『蓮と刀』や『性のタブーのない日本』(集英社新書)が書けたんだろうし、紫式部や清少納言を女子高生言葉にうつしかえることができたんだろうし、まったく独自の日本人論を展開することもできた。

まだ読んではいないけどワクワクする本をたくさんたくさん残して逝った橋本先生には、感謝しかありません。

鬼塚哲郎

あと数年で定年を迎える大学教員。スペイン語圏の文学、芸能を偏愛。
『桃尻娘』シリーズはリアルタイムで読みましたが、あんなに次巻が待ち遠しいと思ったことはありませんでした。
ゲイの男の子とノンケの親友との微妙な関係がリアルでリアルで…(笑)。
因みに、『星の流れに』はYouTubeで聞ける藤圭子がオススメ。西田佐知子の『東京ブルース』を続けて聞くと、戦後の時の流れが走馬灯のように蘇る向きもあるのではないでしょうか。

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