community center dista

ニュースペーパーNEWSPAPER

南界堂通信〈春号|第42号〉

知られざる偉人伝

キーワードは戦争、病い、温室栽培!?

大井川流域を舞台に異形の短篇を数多く生んだ小川国夫の魅力に迫る

小川 国夫(1927-2008)

小川 国夫
小川 国夫(1927-2008)

読者の皆さんは小川国夫という作家をご存じでしょうか?
かく言う私も熱心な読者だったわけではないのですが、学生の頃、梅田の旭屋とか大きな本屋に行くたびに彼の作品を手にしていたことを覚えています。必ず買うわけでもないけれど、つい手に取ってしまう。本の装丁が美しくて、いかにも「純文学の、格調高い作品だよ」というオーラを放っていたんですね。

思い切って買い求めた場合でも、すぐに読むわけでもなく、しばらく放っておいて、手持ち無沙汰なときにパラパラとめくってみる。そんな読み方をしていました。そんな自堕落な読み方をしたのは、作品が格別面白いと感じられるようなものではなかったから。なぜかというと、短篇の主人公はたいてい柚木浩という名の少年(作品によっては青年)なのだけれど、描かれるのはその浩と、別の登場人物とのやりとり、それだけ。数頁からせいぜい十頁の短い小説を読んで頭の中に残るのは、人物たちを囲む自然環境―作家の故郷・静岡県藤枝市とその周辺―と、他の人物の言動が浩にどう映ったか、それだけ。このあたりのことを、作家の死後十年以上経って『評伝 小川国夫―至近距離から』を出版した山本恵一郎氏はこう語っています―

「小川国夫の表現方法は因果を語らず、プロット(筋)を排除し、場の実相だけを暗喩によって書くという方法である」。

場面は克明に描かれるが、筋らしきものもなければ人物たちの背景も全く触れられていない作品の読後感は「えっ、これで終わりなの?」。どこかはぐらかされた感を抱きつつも、それでもこの作家を忘れることができなかったのは、次のような描写を見つけたからなんですね―

『評伝 小川国夫―至近距離から』(鳥影社・2022年)
『評伝 小川国夫―至近距離から』
(鳥影社・2022年)
『彼の故郷』(講談社文庫・1977年)
『彼の故郷』
(講談社文庫・1977年)
『流域』(集英社文庫・1978年)
『流域』
(集英社文庫・1978年)

「(浩と先輩の和一は隣村で少年たちに襲われ、浩は和一を見捨てて逃げ出す。間もなくして、二人は再会する)この秋の運動会のことも遠い思い出のようだった。…和一は目立つ生徒だった。リレーの選手で、五年一組の最終走者だったが、三人目までは三位だったが、彼が走って一位にした。…その時のことを考えると、浩の胸にはひっそりと蜜のようなものが流れたが、そのこと自体は、もう先行きの知れない興奮ではなかった。…浩にとって和一は身近な人になっていた。その日の昼までは、一緒にいると胸がはずんで前後を忘れそうになったが、夕方には普通の上級生になっていた。新しい気持ちは浩を自由にし、夕闇が二人をいつもより結びつけているように感じられた」(「海鵜」、『彼の故郷』に所収)

オーソドックスな短篇小説なら、逃げ出した浩の行為が倫理的に追求される展開となりそうなものですが、この作品にそんなものはなく、その代わりに、海鵜の飛び交う海岸の岩場の夕暮れが、浩の感覚と感情に染まりつつ読者の脳裏に焼き付けられて、それでおしまいとなります。

こんな不意打ちを喰らわしてくれるから小川国夫はやめられないんだよなぁ、なんて思っていると、出会ってしまいました、成人男性同士の恋愛関係を描いた作品に。『流域』に収められた「酷愛」です。登場人物は「私」と「正巳」と「圭助」。例によって、三人の背景は全く語られない。しかし四十頁に及ぶこの短篇には、筋らしきものがはっきりと描かれていて、「えっ、これで終わり?」感は希薄。内容を詳しく述べるのは控えますが、「正巳」と「圭助」と「私」の、「戦争」と「病い」と「温室栽培」とをめぐる物語、といえばよいでしょうか。まるで謎解きですが、これに「加茂さん」という父親の友人で温室栽培の指南役をつとめるおっちゃんが加わって、小川国夫の短篇としては珍しく複数の声が響き合う、読み応えのある作品となっています。

この作品のタイトルはなぜ「酷愛」なのでしょう?
もしこの問いを作者自身に投げかけたとしたら、次のような答えが返ってくるのではないでしょうか―「同性愛だから酷愛、というつもりはない。個人のエゴのぶつかり合いとすれ違い、そしてそこに戦争がいかに残酷に作用するかを描いたつもりだ。それに、同性愛をテーマにした覚えもない。温室栽培を男二人がやって、その二人がたまたまカップルだという話、世の中にフツーにあるでしょ?」

この作品が最初に活字になったのは1961年のことですが、これ以後、これほどラディカルなゲイ小説(と言ったら小川国夫さんに叱られそうですが)が書かれたのかと問われたら、「ウーン、どうでしょうね…」と言葉を濁すしかなさそうです。

鬼塚哲郎

昨年4月から年金生活を送る無職の老人。仕事がなくても生き甲斐を感じつつ生活できるのかという問いへの答えは、相変わらず見つかっていません。現在、谷町六丁目界隈に棲息中。
今回は、昔から気になっていた作品を取り上げることができ、肩の荷が下りた感ありデス。
ただ気になるのは、文壇も研究者もこの「酷愛」をまったく無視していること。出世作となった『アポロンの島』における同性愛を論じた研究はあるんですけどねぇ…

過去の南界堂通信

2023年度
2022年度
2021年度
2020年度
2019年度
2018年度
2017年度
2016年度
2015年度
2014年度
2013年度
2012年度

過去のいくナビ

2022年度
2021年度
2020年度
2019年度
2018年度
2017年度
2016年度
2015年度
PAGE TOP